リベーラのあゆみ

 

私達が住む10棟、906戸のリベーラガーデンはどのように生まれ育ってきたのでしょうか。

海が埋め立てられ、新しい土地に新しい建物がたち、新しい人々が住み、新しい街が生まれました。

博多湾は北に向かって両手で円を描く形と言われます。
左手が西区西浦や宮浦、右手が東区志賀島、口のあたりに能古島、そして、のど元が新しい街「マリナタウン」です。
風光明媚、自然豊かで広々とした海と空と美しい街並みが日々の暮らしを彩ってくれます。

人々が移り住み、日々を暮らし、人の輪が広がり、時を重ね、そしてここが故郷となる子ども達も育っています。

~我が街、我が故郷、リベーラガーデン~
これからもリベーラガーデンが管理組合情報誌「リベコミ」の表紙の言葉のとおり『住み続けたい街』でありますように。

 

※住民の皆さまで入居当時の写真や映像、資料をお持ちの方はぜひご提供お願い致します。
 リベーラに住むみんなの手作りで自分達の街の歩みを記していきませんか。

(管理センターまたはリベコミに記載の広報メールにご連絡ください)

 


 

リベーラガーデンのあゆみ

 

  • 1981年(昭和56年)12月
    国土地理院が高度1700mから撮影した航空写真です。

リベーラガーデンの誕生前です。
室見川河口の西側に見える中央の台形の住宅地は、豊浜団地です。

1981年(昭和56年)12月4日撮影

出典:国土地理院ウェブサイト(当該ページはこちら)を元に広報部が加工編集
こちらをクリックすると元の大きな画像(2MB)で詳細にご覧いただけます。

  • 1982(昭和57年)4月
    博多湾に面した福岡市西区姪浜、小戸地区の埋め立て工事が始まります。

    面積109ヘクタールは、ペイペイドーム15個分にもなります。

    ここに、住宅・教育・ポンプ場・公園緑地・渡船場・漁業施設を収容する計画でした。

    豊浜団地は、姪浜、小戸地区の埋め立て工事が進むと、陸地に囲まれていきます。

 

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1987年(昭和62年)9月20日撮影

出典:国土地理院ウェブサイト(当該ページはこちら)を元に広報部が加工編集

 

  • 1988(昭和63年)4月
     6年かけて埋め立て工事が終了します。
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姪浜、豊浜、愛宕、3地区の総称として、そしてまた海の街を象徴するように
「西福岡マリナタウン」と名付けられました。

  • 1995(平成7年)8月23日から9月3日

福岡市で学生スポーツの世界大会「第18回夏季ユニバ―シアード大会」が開催されました。
12競技に162の国・地域から約5700人の選手役員が参加しました。

スローガンは、「スポーツは かるく 国境を越える」、熱く燃えた福岡。

リベーラは、その中心にありました。

 

 

K棟の場所には旗広場が置かれ、「国境のない潮騒のまち」と言われました。

 

 

旗広場(K棟)の南側にふれあい広場、更に、選手村本部と続き、ウエーブコースト側に、
仮設のビレッジサービスセンターが設置されています。
リベーラガーデンは、お隣のウエーブコーストとともに選手村となり、A・C・D・E・H・Jの6棟に、
約5700人の選手役員が宿泊しました。


 

J棟の奥に見える低層の建物は、選手村ビレッジサービスセンターです。

 

1996年3月

東京2020オリンピックの選手村でも計画されているように、ユニバ―シアード夏季大会終了後の
1996年3月から、まずA棟C棟への入居が始まりました。
福岡市内でも有数の大規模・団地型分譲マンション、リベーラガーデンが、ここからスタートします。

 

 

各棟の入居開始時期は概要ページにありますがG、K、I棟の入居が続き、10棟足並み揃った
906戸の街「リベーラガーデン」が完成します。
 G棟 2005年(平成17年)8月
 K棟 2006年(平成18年)2月
 I棟 2007年(平成19年)3月

 

 

2005年(平成17年)3月21日撮影 福岡県西方沖地震翌日の撮影 

出典:国土地理院ウェブサイト(当該ページはこちら)を元に広報部が加工編集

 

2007年(平成19年)7月27日撮影

出典:国土地理院ウェブサイト(当該ページはこちら)を元に広報部が加工編集

 

 


出典表記のない写真は福岡市市民局福岡市港湾空港局博多港開発から提供いただきました。
このページに掲載された画像の転載はご遠慮ください。


2020年5月投稿 リベーラガーデン 誕生まで